徳島県民の月見が丘海浜公園

徳島県民の月見が丘海浜公園

看護師免許を持った私が、住民票を移さず、車の運転免許を取り、父親の扶養親族で居たかった理由は、名前と体が無かったからです。

 

徳島県に体が埋め込まれていると知ったのは、小豆島に結婚前提の彼氏ができ、その彼と海ガメの砂浜で、石を拾って遊び、

「嫁いで来るん❔」

と言われた事です。

 

大阪に妹さんを嫁がせた八木さんと言います。

待ち合わせから新婚ごっこです。小豆島へは、フェリーでの移動になります。

 

徳島県民の月見が丘海浜公園は、しじみ、あさり、蛤等なく、夏は観光客など一杯などではなく、片親家族ばかりです。

 

私もよく日光浴に訪れます。

八木さんとは、エンジェルロードへ行って、2回ウロウロし、矢木麻由美の嫁ぎ先は、小豆島だったと父親が言い、

「喜んで」

と言ってくれました。

それで八木さんの誕生日の1月1日に他界しました。

 

二十四の瞳映画村は、昭和3年農山漁村の名が、全部当てはまる瀬戸内づくりに、若い女の先生が赴任してきた事を作った大昔のセットで、望遠鏡で見渡す海と打ち寄せる波は、徳島県民の月見が丘海浜公園と何らかわることなく、美しく、壷井繁治と栄原作の「二十四の瞳」その形のまま今も残り、

 

「八木さんが造ったの❔」

と一言いうと、

「そうなんだ」

と瓶ラムネが美味しかったのを覚えています。

 

八木さんの好物は、醤油アイスとジェラートで販売店の女に嫉妬し、私が購入したのを食べると、面白いくらい汗をかいて、後から思い出すと大笑いです。

 

小豆島中の家を造ってくれる人です。

 吉野川の真水と海水が交ざる分岐点で、しじみ狩りが盛んに行われていましたが、今では閉鎖されていて採れません。

 

 白骨化したしじみ、あさり、蛤、牡蠣は撤去し、あさりちゃんの漫画の作者 室山まゆみ

に国語の教員免許があると思っていて、その犯罪者は教科書のように読んでいます。

 

 

 貝類を主食とする大男で口が小さく、その排泄物のせいで、海が汚れて、食べられない不満で一杯だと言っているみたいなのです。

 

 父親のお友達に新開啓二さんという、父親の自宅の歯科技工研究所を辞め、自分の自宅で歯科技工士のお仕事をされている方なんですが、毎年裏山の竹林で採れる筍をたくさん頂きます。

 

私は、自分で買ったり頂いたりした物を食べたり使ったり、差し上げたりします。

 

 私が自宅を継ぐとしたら一度自宅を解体して、今よりワンランクアップの最新式の会社を作らなければならないと言われたからです。

 

筍って一体何なんでしょうか。